般若心経(はんにゃしんぎょう)
     
 
     
 
 
般若心経(はんにゃしんぎょう)
 

 

 いま「平家納経」の一セットとして伝来するが、原初のものが散佚したため、神庫(じんこ)に伝存したこの一巻を代替(だいたい)補入したもの。紺紙(こんし)金泥(こんでい)の写経で、巻末に「仁安二年二月廿三日 太政大臣従一位平朝臣清盛書写之」と署名があるので、清盛(50歳)の自筆である。二月十一日、武門の出自(しゅつじ)ながら清盛は前代未聞、位(くらい)人臣(じんしん)を極めた。その直後の写経で、伊都岐島社に奉賽(ほうさい)(御礼として捧げる)したもの。二十三日に書き終わると二十五日には京都を出発、船路で参詣した。帰洛は四月六日。じつに四十一日もの長旅(ながたび)であった。太政大臣の長期離洛(りらく)は、公卿の顰蹙(ひんしゅく)を買った。清盛が当代稀有(けう)の能書であったことが、この写経によって十二分にうかがわれる。

 
 
 
     
 
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